頭痛がしてきた
自分が所持するポケット六法の帯に『「裁判員」時代の必読書』と書かれているのですが、むしろ裁判員は法律の知識なんて無いほうが好ましいのではなかろうか。
今まで司法の世界で生きる人間だけで構築されていた裁判の中に、司法とは関係ない世界で生きてきた人々の価値観を混ぜることによって、より公平な判決を期するのが裁判員制度の役割だとすれば、むしろ法律の知識なんて邪魔なんじゃないかと。
……ただ仮に自分が法律と言う学問に手を出していない状態で裁判員に選ばれたとしたら、間違いなく六法全書を買いに走ったんでしょうけどね。
いくら自分にとってそれが『常識』でも、本当に世間一般において『常識』である自信はありませんし、そうなるとやはり司法の世界においても一般社会においても絶対にして中立の存在である『法律』と言う常識を測る物差しを求めたと思います。
しかし形はどうあれ法律を齧った人間が今後増えていった場合、裁判員制度の意義が薄れていく可能性は非常に高いと思うのですが、裁判員制度の狙いの一つに、『社会における司法への理解を深める〜』みたいなのがあったハズですので、そうなったらそうなったで一つの狙いは達成されたと言えるワケなのかな。
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